第23回 明治の京都復興の影には安積疏水の主任技師・南一郎平がいた
4月のはじめ、琵琶湖疏水(滋賀県・大津側)に行ってきました。
京都・滋賀以外の方はあまり知らないと思うのでちょっと解説しますと、琵琶湖疏水とは明治23年に琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路です。
明治維新で東京に首都が移った後、京都の人口は半分近くに激減、大きく衰退していたそうです。
そんな京都を、水力発電や物資運搬、灌漑用水により復興させるため、外国人技師の手を借りず全て日本人により行われた最初の大土木工事事業でした。
当時、日本全国でその是非について一大論争を巻き起こしたようです。当代随一のオピニオンリーダー福沢諭吉は「京都は近代都市ではなく、奈良と同じく古都として観光化していくスタイルが望ましい」「景観として不適切」として反対していたようです。
国家事業でなく地方自治体事業であったこの工事を、京都市は当時の年間予算の10数倍という膨大な費用をつぎ込み大事業を完遂しました。結果、この琵琶湖疏水の完成により、京都は古都として残るだけでなく、先進テクノロジー都市としても発展していくことになりました。
もしも琵琶湖疏水がなかったら、京セラ、村田製作所、ローム、島津製作所、日本電産、オムロン、ニチコン、スクリーン、堀場製作所・・・・京都は世界を支える電子機器、電子部品メーカーの街にはなっていなかった。歴史と先端テクノロジーが融合する世界屈指の都市にはなれなかった。
毎年、桜の時期にこの琵琶湖疏水を見るたび、普段は時間がゆったり流れるちょっと退屈な街なのに、「ここぞ」という歴史的転換点で発揮される京都という街の「先見の明と爆発力」に千年の歴史の計り知れない偉大さを感じます。
そして、この琵琶湖疏水の実地調査を行い、詳細な基本設計を作ったのは安積疏水(明治15年完成)の主任技師・南一郎平でした。同じ疏水を通じての郡山の発展と、京都の復興。大きな縁にちょっと熱くなりました。
