第21回 働き方改革 異論あり!
厚生労働省によれば、「働き方改革」とは「長時間労働の常態化やそれに起因する過労死」「育児や介護との両立、働く方のニーズの多様化」などの課題の解決のため、日本企業の労働環境を大幅に見直す取り組み、ということのようです。
特に異論はないです。異論がないばかりか大賛成であります!総論では。
ですが、どうしても一部受け入れられないことがあります。
私は30年前、大学を卒業し銀行に入社するまでは、自分の能力にそれなりの自信がありました。東大卒の同期の社員にも、京大卒の同期の社員にも勝てるはずと思っていました。しかし入社後しばらくすると、自分が廻りの同期と比べ、資料を読み理解するスピードも、書面を書き上げるスピードも明らかに遅いことを知り愕然としました。
所定労働時間と一定の残業時間内では、同期に勝つことはおろか、一人前の銀行員になることさえできないことは一目瞭然でした。自分が仕事で認められるためには、同期の数倍の時間を掛ける以外に方法がなかったのです。
業務時間中は、担当する取引先の社長を訪問し、事業計画についてヒアリングしたり、財務資料をもらったりする時間に費やされます。優秀な銀行員は帰社後に取引先の財務資料を読み込み、事業の成長性、安定性、収益性などを分析して、すばやく融資稟議を何十枚も書くこともできたかも知れませんが、若い時代の自分にはできませんでした。
オフィスが閉まる夜10時でも終わらなければ、資料を自宅に持ち帰り(いまは情報を社外に持ち出すことはできない時代になりましたが)、徹夜で融資稟議を作成したことも何度もありました。
なんとしても挽回したい、負けたくない、実力をつけたい一心でやっていました。ほんとに死ぬ気で頑張りました。一人前の社会人になるためです。ここで諦めたら、苦労して大学まで行かせてくれた親に対して、あまりに申し訳ないと思ったからです。
それは仕事かと言われれば、もちろん仕事で、残業かと言われれば残業です。でも残業申請なんてしていませんでした。当時、もし上司に残業申請をしていたとしても、認められたはずはありません。能力のない自分だけに残業代を払うのは誰が見ても不公平ですし、自分を抱えた部署だけ人件費が大きく増えてしまいます。
若い社会人駆け出しの時代に、徹底的に考える時間をとった効果なのか、苦手だった素早く判断する能力や、重要な情報にフォーカスして文章をまとめる能力が身について、その後、仕事のスピードは大きく向上したように思います。もし当時の自分が、いまの働き方改革の方針に沿って、これは残業だからダメ、長時間労働だからダメと言われていたら、今の自分は絶対にありません。
財務の参考書をいくら読んでも、融資稟議の書き方の本をいくら読んでも、本当の仕事の実力なんて向上しません。生の会社のデータを分析して、生きている会社の将来を決めることになるかもしれない融資案件、つまり本当の仕事を通じてしか、自分の血にも肉にもならないのです。「本当の仕事を通じてしか成長できないということ」、これはどんな業界でも同じじゃないかと思います。
なんだか、今の働き方改革を進めていったら、一定の時間内に高得点を出せる能力を備えた人間しか認められない社会になりそうな気がします。不足する能力を自分の時間を使って挽回するしか方法のない人間は、頑張ることを放棄しろ、将来を諦めろと全否定されているようで、どうしても納得がいかないのです。
確かに、働き方改革が広く行き渡れば、仕事している時間は大きく減るでしょう。過労死も減るでしょう。でも仕事をやっていく上で一番大切な、成長したいという意欲、遣り甲斐さえも奪ってしまう気がして仕方ありません。
自分の時間を使ってでも頑張りたい自分のような人間からチャンスを取り上げないでほしい。過去の自分と同じような思いの若い社員はきっといるはず。そんな社員の意欲を受け入れる方法を考えていこうと思います。
