第61回 家訓から何を学ぶか?(武家の家訓:No3)
今回は、黒田家(黒田長政)の家訓「淀書の事」から忘れるな、治世の「武」、乱世の「文」をご紹介します。
黒田長政はご存じ、秀吉の謀将:黒田官兵衛孝高、のちの黒田如水の子供です。
「忘れるな、治世の武、乱世の文」
黒田長政はご存じ、秀吉の謀将:黒田官兵衛孝高、のちの黒田如水の子供です。
「忘れるな、治世の武、乱世の文」
およそ一国を治める武将たるものは、特別な自覚がなくてはならぬ。
普通の人と同様な心がけであってはならない。
それには、まず自分自身の行動を正しくし、私心によって政治を乱すことなく、万民をいつくしむことである。
また、自分の趣味嗜好についても、よくよく考えねばならない。
主君の好むことは武士たちも好み、百姓町人にいたるまで、それを楽しむようになるからである。
楽しみごとは、一時のものであっても目立たぬようにせよ。
自分が士農工商の人びとの手本であることを片時も忘れるな。
およそ一国の主たるものは、つねに慈愛の心を忘れず、讒言をしりぞけ、ひたすら善政を行うことを努めとせねばならない。
政治は青空に太陽のごとく公正を旨とし、一事もあやまることのないよう、深く思慮を尽くして行うのである。
文と武とは車の両輪であり、どちらが欠けても国をたもつことはできない。
もちろん、治世には文、乱世には武が中心となるのであるが、治世において武を忘れず、
乱世にも文を捨てぬという心がけこそ、もっとも大切なのである。
世が平穏に治まっているからといって、一国の主が武を忘れるならば、まず藩の軍備がおろそかとなり、
家中の武士たちは自然と柔弱になって武士道を忘れ、武芸を怠り、武器のたぐいも不足して、
先祖から伝わった武具までも銹び腐って、いざというときの役に立たぬ状態となろう。
このように軍備がおろそかにされていれば、いざというときの対策を不断から立てておくことがないから、
予測せぬ戦乱が起こったときには、ただ、あわてさわぎ、議論もまとまらず、作戦を立てることもできない。
したがって、武将の家に生まれたからには、治世にあっても、武の道をひとときも忘れてはならないのである。
また、乱世であるからといって、文の道を捨てるならば、法律制度が乱れ、行政は私心によって曲げられ、
家中の人々や領民に対する愛情に欠けるため、人びとの不満が高まるであろう。
また合戦にあたっても、血気の勇にはやるばかりで、武士道をはずれたやり方が多くなるため、
士卒の心が一つにまとまることなく、忠義の働きをするものも現われまい。
このような状態では、たとえ一時の勝利は得られようとも、のちに必ず負け戦となるものである。
そもそも一国の主として文の道を好むというのは、決して書物を多く読み、詩を作り、むかしのことに
通じることだけをいうのではない。
国を治めるにあたっての正道を知り、万事について詳細に検討考慮し、筋を外さず、誤りを防ぎ、
善悪の事実を明らかにして賞罰を正しくし、家中領民を憐れむ事こそが、文の道を重んずるという事なのである。
また、武の道を好むというのは、単に武芸をさかんにして、いかめしいふうをすることではない。
合戦の道をよく心得、つねに油断なく兵乱を鎮める知略をめぐらして、士卒の訓練にはげみ、
功あるものには恩賞を与え、罪あるものは刑罰に処し、剛勇のもと臆病なものとの評定を誤ることなく、
どのような治世にあっても合戦を忘れることがないのを、武の道を重んずるというのである。
ただ武芸のみを好んで、個人の武技にふけることは匹夫の勇であり、国王・武将にとっての武道とはいえない。
当家の軍法には、とりわけて変わったことはない。
君臣ともに正しく法令を守り、士卒が一致結束することが、その基本である。
日ごろの無事なときには家臣に情をかけ、功績のあるものには惜しむことなく恩賞を与えて、
そのような君主の姿勢を人びとによく知らせておくならば、その恩を慕って、上下が心を合わせ、
危急の場合には一致結束して武勇にはげむゆえ、その軍勢はすさまじい強さを発揮して、
勝利を得ること疑いないのである。
また、武将たる人には、威厳というものがなくてはならぬが、これを間違って、意識的に威厳を装う事は、
かえって大きな害となるのである。
人びとから恐れられるような態度をとることが威厳であると思いこみ、家老に向かってもいばりかえって、
必要もないのに荒い言葉を吐き、人びとのいさめをも聞き入れず、自分に過ちがあっても強引に押し通し、
むりやり自分の意見を通すようであれば、家老も諫言することもなく、自然と消極的になってしまうであろう。
家老でさえ、このような状態であれば、まして、一般の家臣や武士たちにいたっては、ただ君主を恐れるばかりで、
忠義の思いをするものとてもなく、ただ自分の保身だけを考えて、真剣に奉公を努める事も無くなってしまうであろう。
君主がこのように高慢で人びとをないがしろにするならば、家臣たちをはじめとして万民の心は離反し、
必ずや国を滅ぼす原因となるものであるから、よくよく心得ねばならない。
さて、真の威厳というものは、まず自分自身の行動を正し、善悪を明らかにして賞罰を
正しく行うことによって生まれる。そのようであれば、別段、人びとに対していばったり、
おどしたりせずとも、家臣も領民も君主を敬い恐れ、決してあなどったり軽んじたりする
ことはなく、おのずから威光がそなわるものである。
「忘れるな、治世の武、乱世の文」
なかなかいい家訓とは思いませんか?
今の日本に欠けている基本中の基本の事をさらりと家訓に残しています。
特に
当家の軍法には、とりわけて変わったことはない。
君臣ともに正しく法令を守り、士卒が一致結束することが、その基本である。
この文章が気に入った。
何となく、今の会社にもあてはまる。
経営者も社員も皆、きちんとルールを守り、会社一丸となってこの不景気時代を吹き飛ばす。
何も考えない経営者やリストラの心配ばかりしている社員の存在は決して「一致結束」とは言えない。
次に
さて、真の威厳というものは、まず自分自身の行動を正し、善悪を明らかにして賞罰を
正しく行うことによって生まれる。そのようであれば、別段、人びとに対していばったり、
おどしたりせずとも、家臣も領民も君主を敬い恐れ、決してあなどったり軽んじたりする
ことはなく、おのずから威光がそなわるものである。
この文章も気に入った。
会社での威厳・威光がテーマです。社長さん・専務さん・常務さん、皆さん大丈夫ですか?
能力もなく、社員から馬鹿にされては「真の威厳」は付きません。
第3部に亘って、家訓を紹介してきましたが、どれも当たり前の事をきちんと書き遺し、後世に引き継いでいるのです。
最近の日本の現状は当たり前の事が出来ないで、何か変な理屈で物事をきちんと見ない、言わない、
聞かない(どっかで聞いたな)。
これでは完全にどこの国から相手にされない国になってしまいます。
それでは問題です。
福島県会津にも言い伝えられている「ならぬものはならぬ」です。
みんなで意識して、きちんと生きませんか?
現在の世の中の出来事や社会の言動をきちんと子供たちは見たり、聞いたりしています。
無意識で悪いDNAが子供達に継承しない様に、今の大人はやはり正論で生きるべきと考えますが、いかがでしょう。
本格的に日本沈没を心配し始めたSEより。
【参考文献】「武家の家訓」・・㈱徳間書店1972年初版
発言者:(S.E.)Y
普通の人と同様な心がけであってはならない。
それには、まず自分自身の行動を正しくし、私心によって政治を乱すことなく、万民をいつくしむことである。
また、自分の趣味嗜好についても、よくよく考えねばならない。
主君の好むことは武士たちも好み、百姓町人にいたるまで、それを楽しむようになるからである。
楽しみごとは、一時のものであっても目立たぬようにせよ。
自分が士農工商の人びとの手本であることを片時も忘れるな。
およそ一国の主たるものは、つねに慈愛の心を忘れず、讒言をしりぞけ、ひたすら善政を行うことを努めとせねばならない。
政治は青空に太陽のごとく公正を旨とし、一事もあやまることのないよう、深く思慮を尽くして行うのである。
文と武とは車の両輪であり、どちらが欠けても国をたもつことはできない。
もちろん、治世には文、乱世には武が中心となるのであるが、治世において武を忘れず、
乱世にも文を捨てぬという心がけこそ、もっとも大切なのである。
世が平穏に治まっているからといって、一国の主が武を忘れるならば、まず藩の軍備がおろそかとなり、
家中の武士たちは自然と柔弱になって武士道を忘れ、武芸を怠り、武器のたぐいも不足して、
先祖から伝わった武具までも銹び腐って、いざというときの役に立たぬ状態となろう。
このように軍備がおろそかにされていれば、いざというときの対策を不断から立てておくことがないから、
予測せぬ戦乱が起こったときには、ただ、あわてさわぎ、議論もまとまらず、作戦を立てることもできない。
したがって、武将の家に生まれたからには、治世にあっても、武の道をひとときも忘れてはならないのである。
また、乱世であるからといって、文の道を捨てるならば、法律制度が乱れ、行政は私心によって曲げられ、
家中の人々や領民に対する愛情に欠けるため、人びとの不満が高まるであろう。
また合戦にあたっても、血気の勇にはやるばかりで、武士道をはずれたやり方が多くなるため、
士卒の心が一つにまとまることなく、忠義の働きをするものも現われまい。
このような状態では、たとえ一時の勝利は得られようとも、のちに必ず負け戦となるものである。
そもそも一国の主として文の道を好むというのは、決して書物を多く読み、詩を作り、むかしのことに
通じることだけをいうのではない。
国を治めるにあたっての正道を知り、万事について詳細に検討考慮し、筋を外さず、誤りを防ぎ、
善悪の事実を明らかにして賞罰を正しくし、家中領民を憐れむ事こそが、文の道を重んずるという事なのである。
また、武の道を好むというのは、単に武芸をさかんにして、いかめしいふうをすることではない。
合戦の道をよく心得、つねに油断なく兵乱を鎮める知略をめぐらして、士卒の訓練にはげみ、
功あるものには恩賞を与え、罪あるものは刑罰に処し、剛勇のもと臆病なものとの評定を誤ることなく、
どのような治世にあっても合戦を忘れることがないのを、武の道を重んずるというのである。
ただ武芸のみを好んで、個人の武技にふけることは匹夫の勇であり、国王・武将にとっての武道とはいえない。
当家の軍法には、とりわけて変わったことはない。
君臣ともに正しく法令を守り、士卒が一致結束することが、その基本である。
日ごろの無事なときには家臣に情をかけ、功績のあるものには惜しむことなく恩賞を与えて、
そのような君主の姿勢を人びとによく知らせておくならば、その恩を慕って、上下が心を合わせ、
危急の場合には一致結束して武勇にはげむゆえ、その軍勢はすさまじい強さを発揮して、
勝利を得ること疑いないのである。
また、武将たる人には、威厳というものがなくてはならぬが、これを間違って、意識的に威厳を装う事は、
かえって大きな害となるのである。
人びとから恐れられるような態度をとることが威厳であると思いこみ、家老に向かってもいばりかえって、
必要もないのに荒い言葉を吐き、人びとのいさめをも聞き入れず、自分に過ちがあっても強引に押し通し、
むりやり自分の意見を通すようであれば、家老も諫言することもなく、自然と消極的になってしまうであろう。
家老でさえ、このような状態であれば、まして、一般の家臣や武士たちにいたっては、ただ君主を恐れるばかりで、
忠義の思いをするものとてもなく、ただ自分の保身だけを考えて、真剣に奉公を努める事も無くなってしまうであろう。
君主がこのように高慢で人びとをないがしろにするならば、家臣たちをはじめとして万民の心は離反し、
必ずや国を滅ぼす原因となるものであるから、よくよく心得ねばならない。
さて、真の威厳というものは、まず自分自身の行動を正し、善悪を明らかにして賞罰を
正しく行うことによって生まれる。そのようであれば、別段、人びとに対していばったり、
おどしたりせずとも、家臣も領民も君主を敬い恐れ、決してあなどったり軽んじたりする
ことはなく、おのずから威光がそなわるものである。
「忘れるな、治世の武、乱世の文」
なかなかいい家訓とは思いませんか?
今の日本に欠けている基本中の基本の事をさらりと家訓に残しています。
特に
当家の軍法には、とりわけて変わったことはない。
君臣ともに正しく法令を守り、士卒が一致結束することが、その基本である。
この文章が気に入った。
何となく、今の会社にもあてはまる。
経営者も社員も皆、きちんとルールを守り、会社一丸となってこの不景気時代を吹き飛ばす。
何も考えない経営者やリストラの心配ばかりしている社員の存在は決して「一致結束」とは言えない。
次に
さて、真の威厳というものは、まず自分自身の行動を正し、善悪を明らかにして賞罰を
正しく行うことによって生まれる。そのようであれば、別段、人びとに対していばったり、
おどしたりせずとも、家臣も領民も君主を敬い恐れ、決してあなどったり軽んじたりする
ことはなく、おのずから威光がそなわるものである。
この文章も気に入った。
会社での威厳・威光がテーマです。社長さん・専務さん・常務さん、皆さん大丈夫ですか?
能力もなく、社員から馬鹿にされては「真の威厳」は付きません。
第3部に亘って、家訓を紹介してきましたが、どれも当たり前の事をきちんと書き遺し、後世に引き継いでいるのです。
最近の日本の現状は当たり前の事が出来ないで、何か変な理屈で物事をきちんと見ない、言わない、
聞かない(どっかで聞いたな)。
これでは完全にどこの国から相手にされない国になってしまいます。
それでは問題です。
福島県会津にも言い伝えられている「ならぬものはならぬ」です。
みんなで意識して、きちんと生きませんか?
現在の世の中の出来事や社会の言動をきちんと子供たちは見たり、聞いたりしています。
無意識で悪いDNAが子供達に継承しない様に、今の大人はやはり正論で生きるべきと考えますが、いかがでしょう。
本格的に日本沈没を心配し始めたSEより。
【参考文献】「武家の家訓」・・㈱徳間書店1972年初版
発言者:(S.E.)Y